第4部 子どもたちの学びを求めて
2.自分探しの旅を共に
 私たちは、子どもたちと『自分捜しの旅』を共にして、それを支える仲間でありたい、そう思っています。私たちの支えがその子の生きやすさにつながり、素敵な自分探しの旅の手伝いができるならばどんなに素晴らしいでしょう。
ここでは、この旅を共にするにあたって大切にしたいことについて、いくつかまとめてみました。

心の支えになる
 人との関係というものは、全ての基本になると考えます。「学び」の基本とも言えます。私たちは、旅を共にする仲間として子どもたちの心の支えになり、良い対人関係を築きながら子どもの力をより引き出し、育てていきたいと思っています。子どもは“楽しい”ことをしてくれる大好きな大人を通して、自分の要求や意思を伝えることや表現することを学びます。また、そこからいろいろな遊びやものの違いなど、様々な意味を知っていきます。
 意志の伝達というものも、受け取る相手がいてくれることが前提です。いつも否定して
ばかりいたり、子どもたちの微弱な要求を見逃すと、子どもの気持ちがしぼんでしまい
ます。
 もちろん、人との関係というのは互いの心のキャッチボールですから、好きなことだけをやる人になってしまっては良い関係が生まれてはいかないでしょう。子どもの心をキャッチする素地は、子どもと共有できるものを増やしていくところにあり、「この人となら一緒に頑張れる」、そんな関係をつくっていくことが望ましいのだと思っています。子どもによりそい、いかにアンテナを高くして子どもからの発信をキャッチしていくかということが私たちには求められているのです。
 この人には言えても、あの人には言えない。ある特定のある人にだけ伝えることができた。あるいはある特定の人が意思を把握できるようになったということも含めて、心の交流が始まったといえます。つまり、その人がその子の心の支えになり始めているのです。初めは特定の人とだけの心の交流ですが、それがこれから先の成長の種であることを私たちが意識して大切に育てていくことが、子どものより多くの意思表示の機会を増やすことになります。「この人となら苦手なことや新しいことも頑張ってみよう!」と思える関係をつくり、それを支える大人になることをめざします。
特に私たちがかかわってきた子どもたちの多くは、人と関わる力に弱さのみられるのですが、決して人が嫌いなわけではないのです。“楽しい”ことを一緒に行いながら、そのことは誰かがいないと達成できないというような場面を設定したり、やりとりの中で「この人は、僕が(私が)こうするとこんなふうにしてくれるんだ」、「こういうことをすると喜ぶよ」、「こうするとほめられる」ということを経験的に学んでいきます。こんなかかわりを通して、もっと相手の気持ちがわかるようになってほしいのです。
相手を思いやりながら行動するということは、かなり難しいことです。しかし、日ごろの接し方次第でその行動も変わってきます。心の支えとなった先生の真似をすることが多くなり、知らず知らずのうちに教員の内面をも真似ることがあります。子どもがふと相手の気持ちにふれた時、子どもの中にも人の気持ちがわかるという心が育っていきます。私たちはどんなに時間がかかっても、その力を育てていくことが必要です。
子どもたちが私たちに寄せる信頼感。大人が「見ていてくれる」「わかってくれる」「認めてくれる」そうした安心感という基盤があるからこそ、子どもたちからの発信が始まり、人として成長し続けるために必要な対話も交流も生まれてくるのです。
私たちは、いつも子どもによりそい心の支えになりたい、そう思っています。

 行動は子どもからのメッセージ

 子どもからのメッセージは、言葉という発信だけを見るのではなく、言葉を含めた「行動」すべての中からとらえていくことが大切です。
すべての「行動」は、その子どものまわりにある環境との相互作用によって成り立っています。つまり、その「行動」の前後関係や状況、生い立ち等を含めて見た時に、初めて子どもからのメッセージが見えてくるのです。私たちには、その「行動」の意味を読み取る力が求められています。
私たちは、旅を共にする仲間として、子どもからのメッセージを的確にうけとれる人になりたいと思っています。

 怖がりのゆかちゃんがすべり台に向かっていきました。今まで近づけなかったすべり台に自分から少しでも近づけたことは、興味がもてたということです。私たちはそこを見逃してはなりません。そして、さらに遊びを拡げるという視点から、そこでも誘いかけをします。ゆかちゃんの場合には新しい活動に入る時の行動のパターンなども考え合わせてせまる必要がありました。ゆかちゃんのように、一度は拒否の態度をとることを自分の決まりとして持っている子どもの場合には、強引な誘いかけも必要なことがあるのです。食わず嫌いのような場合もあるわけです。このような支援を行う場合は、あくまでも自分から興味を示し始めた様子があるとか、子どもを“丸ごと”とらえて、その先を見通した上で行なうことが前提です。ゆかちゃんは、今では信じられないほどのチャレンジャーです。高さのあるすべり台にも自分で取り組めるようになっただけでなく、このことがきっかけで新しいものを拒否する気持ちが減り、楽しめるものが増えてきました。
 食事の指導については、食べるようになるまで待てばいい、その子が嫌がるなら食べなくていい、という考えもあるでしょう。しかし、中には自分でつくった決まりごとにしばられてしまって、決して嫌ではないのにそのことにとらわれてしまい自分だけでは変えることができないという子どももいるのです。のりゆきくんはそういう子どもの一人でした。自分で「家以外では食事をしない」という決まりを作ってしまって、外では食事をしないのです。
のりゆきくんの場合は、学校でさまざまな取り組みをおこなってきました。そして、勧めると食べるようにはなってきましたが、その時に必ずその教員を「たたく」という行動がでてきたのです。この「たたく」という行動は、それ自体を問題としてとらえてしまうと、その問題行動の解消が課題にされてしまいがちです。また、単に拒否の表現だと考えて放ってしまえばそれで終わりです。しかし、私たちは、のりゆきくんにとって「たたく」ということが「食べる」活動をする上で自分を納得させるために必要な行動であるととらえました。
それを受け入れた時、1つ食べると1回たたくという行動から、2つ食べて1回たたくというように、だんだんと食べるものが増えて、たたくことが減りました。そして、いつの間にかたたくという行動が消え、食べることが喜びになりました。以前は外で食事ができないことから、下校後の学童保育などに通えない、遠出の外出ができないなど、本人はもちろん家族にとっても生活の幅が広がらないという弊害がありました。しかし、それを克服できたことで、本人はもちろん家族の生活も豊かになっていったのです。同時に情緒の安定にも多大な影響がありました。
この例は、教員の「食べる時にたたくのは、自分への納得のため」「食事の安定が本人にとって、最大の課題であり、今後の生活を変えていくものとなる」という二つの判断が見事に的中したものです。子どもたち自身が自分の殻を破ることは難しくても、その子どもからのメッセージを受けとめて、一緒に取り組んでいく。教員にはそんな見極めが求められているのです。
日常の何気ない子どもたちの行動には、多様なメッセージが含まれています。その行動を教員がいつも同じ見方や教員側の価値観で捉えていたのでは、その中にある真実に気づきません。例えば、子どもが発する「イヤ!」という言葉をひとつとってみても、本来の意味である拒否の言葉としてだけではなく、「注目してほしい」あるいは「何かを要求したい」という隠されたメッセージが込められていることもあるのです。
私たちは子どもそれぞれがもつ価値観、行動の意味に気づき、見極め、貴重なメッセージを受け取れる仲間でありたいと思っています。

子どもに合わせたコミュニケーション
コミュニケーションの取り方は一人ひとりが違っています。意思の疎通がどうしたらできるようになるかということは、日々悩むことが多い課題です。
子どもたちは、言葉や場面をその子なりの認知の仕方で学んでいます。私たちは、子どもにあった言葉やサインを工夫し、いろいろな場面を利用して子どもに合わせたコミュニケーションを取るようにしなければなりません。それは、日常の会話につながっていくための学習をしていることにもなります。また、それを使っていくことで互いにわかりあえて余計な摩擦も減り、良い関係がもてるようになります。コミュニケーションがとれるということは、信頼関係を生み出す力にもつながっていくのです。
 クイズ番組が好きなだいきくんは、オウム返しになってしまって会話になりにくく、思いはたくさんあるのに相手との気持ちのずれによってパニックをおこしている子どもでした。そこで、質問についての答えを三者択一のクイズ形式にして選択させ、コミュニケーションを少しでも拡げていってはどうか、ということになりました。前日の遊びや買物の内容などを聞き取り、気分の良い時を見計らって取り組み始めました。例えばこんな具合です。「だいきくんが、今日やりたいことは何でしょうか?1番すべり台、2番ワープロ、3番電車あそび。さあ、何番ですか?」すると、だいきくんは「正解は3番。電車あそび!」などと応えるようになったのです。これを少しずつ発展させて、やがては文章的な選択肢も用意するようになっていきました。これが応えられるのだったら、選択肢がなくても応えられるだろうと思うのですが、そういうふうになったのはかなり後になってからです。そして、会話がオウム返しなどの形を取らなくてもできるようになっていきました。
そしてさらに、これに刺激されたゆうすけくんが、指で「1」「2」「3」と示し応えるという行動が出てきました。言葉ははっきりと出ないがそのやりとりの意味が分かり、自分の意思表示がそのやり方でできるということが分かる、それは私たちにとっても大きな喜びでした。ゆうすけくんのように、会話の仕方がわからなくとも、いくつかの中から選択できる力を持っている子もいるわけです。
オウム返しという行動は、「話の内容が理解できないよ」「どうやって答えればいいか分からないよ」という子どもたちからのメッセージです。さらに、話しかけられたことに一生懸命答えようとする行動は、コミュニケーションを拡げたり会話へつながる第一歩と捉えることができます。
彼らにとって、その自分に合ったコミュニケーション手段が活用される前と後では、意思を伝えることが驚くほど違ったものになります。それは、気持ちの安定と共に、教員との信頼関係の構築にも大いに役立ちます。信頼関係というのは、お互いの意思を投げかけあえる関係という言い方もできるでしょう。
障害の重い子の場合は、もっと微弱な発信です。それらもしっかり受け止め「おはなししてくれてうれしい」と笑顔で返して楽しい一時を共有し、互いに気持ちが通うことこそコミュニケーションの基礎だと思います。その微弱な発信がより強く多彩に表情豊かになるように、日頃の関わりあいを大切にしていきたいものです。
 その他にも、言葉だけでは日課がイメージできない子には、絵カードや写真カードを工夫して提示することで日課が分かるようになりパニックが減った、と言うようなこともあります。視覚的なものだけでの判断をよしとしているわけではありませんが、コミュニケーションへの入口としてうまく使いたいと考えています。
また、サインもいろいろです。その子のとれるポーズ(手を合わせ続けられない子は手ばたきする)や発音のしやすい似たようなことば(ちょうだい=ちーだい)を教えるとか、お願いもちょうだいもみんな同じサインにしておいてそのことがわかったら少しずつ分化させるとか、子どもの状態に合わせることが大切です。もちろんその子なりの出し方があるならば、こちらが形を決めずにそれを共有化していけばいいのです。
子どもに合わせたコミュニケーションは、子どもたちの日常を安心できるものにし、生活を楽しく安定したものにしていくのです。

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