誇りに思うこと
(1)共感性の豊かさ
 第一には、教員としての意識において互いに共有する部分が多く、共感性が豊かであるということ。その共有の価値観を感じ合いながら仕事ができるチ−ムであるということです。

仕事への熱意と感性、実践への情熱
 どんな仕事についてもできる限りよいものを目指したいという意識が働いています。もちろん、際限なく時間をかけるわけではありませんが、最低限の労力ですましてしまおうというのではなく、持てる力と時間で精一杯やろうという意識の共有があります。教材さがし、情報収集(文献、研究会)などへの意欲も強く、それを一緒に楽しめるチ−ムになっています。

 例えば、「いい本が出たよ」と聞くとまとめて注文したり、「おもしろそうな講演(研究)会があるよ」と聞くと大挙して参加したり、情報交換は日常的に行なわれ、それがすぐに実践に反映します。

 また、ある人はこう言います。「わたし、この仕事が大好きなの!好きなことやっててお給料もらっちゃうなんて、いいのかしらなんて思うくらいよ」この率直で、鮮烈なことば。こういう感性に共感できるかどうかが、この仕事では特に問われるなと思います。

 チ−ムのメンバ−が仕事の楽しさを共有できることは、本当にいいものです。養護学校の職場が、笑顔があふれ、元気な声が飛び交う生き生きした職場であるには、こういう感情、感性の共有がどうしても必要だなと感じます。


子どもの見方での共感  
 何と言っても、子どもが好きだということ。
 子どもとすごすことが楽しいということ、子どもの笑顔をたくさん見たいと思うこと、子どもに笑顔で向かいたいと思うこと、そういう感覚的なことでの共感はあたりまえのようなことですが、実は結構難しいことなのです。

 子どもにク−ルに立ち向かうことの方が本当の愛情だというような感覚からすれば、無表情にも意味があることになります。「子どものことを思う」とは言っても、その思い方はさまざまで、その視点や意識によっては、同じ教員ではあっても、お互い、相容れない対立状態になってしまうようです。そして、その対立が、職場の分裂や苦悩を生むことも多いのです。

 私たちのチ−ムが一番大切にするのは、子どもとの関係性です。
  子どもの心に寄り添い、かかわりあいを深め、絆をつくること。それが、子どもの力を引き出し、成長の土台になると考えます。さまざまな活動での、楽しさの共感を通じての関係性を深めること、そうしながら、いろいろな課題に取り組んでいくのです。そういう価値観での共有の意識があります。

 その意識が基本にあれば、自然にそして楽しく、子どものことを語り合うことができます。日常の小さなできごと、子どもの視線や表情、握り合った手の感触、そうしたところで感じる子どもの内面の変化のことを同僚に話し、気づき合い、喜びを共有することができるのです。その過程で、子どもの見方を学んでいくことができます。

 希望の赴任でない人でも、この仕事を好きになっていくことがあるのは、おそらくそういう学びの過程でそれまでの自分の価値観、人間観を転換していったときではないかと思うのです。


話し合いを大切にする意識
 養護学校は、基本的には複数担任・担当です。何をやるにしても話し合いが必要になります。 しかし、その話し合いのありようや質は、職場(チ−ム)の雰囲気によってずいぶん違うものになるようです。率直に意見が言えない形式的な話し合いほど苦痛なものはありません。

  小高のメンバ−は実によくしゃべります。職員室では、いつも明るい話し声があふれています。クラスの枠を越えてどの子がどうした、あの子がこうしたという話が飛びかっています。飲み会でも、たわいない話だけでは終わらないので、お母さん先生の出席率も高く盛り上がります。そういう雰囲気の中だからこそ、仕事における話し合い(打ち合わせや会議)もお互いがきちんと向かい合った率直なものになっています。

 話し合って進めるということは、言葉では簡単に言えますが、実際は精神的なエネルギ−がいる大変なことです。ですから、仕事はできるだけ細分化し個人で担当するとか、担当の提案にほとんど意見を出さずにおまかせにしてしまうことも多いようです。

 それでは、なぜ話し合いが大切なのか? 小高の率直な話し合いで感じるのは、「話し合い」の中で…
 ・新たに気づくことがあること、
 ・アイデアが閃くことがあること、
 ・深くわかるようになることがあること、
 ・メンバ−一人一人の考え方、個性、そのもとになっている経験 などを知ることが
  でき、互いの理解が深まること、
 ・そのことによって、たがいの意見の共通性が確かめられたり、 違いがわかった
  上での合意を得ることもできること、
 ・企画(仕事)に対する参加意識が高まる(人ごとではなくなる)こと、

などです。

 どれもチ−ムで仕事をするためには大切なことだと思います。要するに、「一人ではできないことができる」ということです。

 そして、子どもをどう見るか、どうしたらよいか、授業や行事での企画・計画、取り組んだことの評価、テ−マを決めて1年間をかけて進める研修などでの話し合いは、とても重要な意味を持ちます。そのもとになる「教育課程づくり」の話し合いについては後で触れたいと思います。


教員の仲間意識の強さ、連帯感
 これは、話し合いを大切にする意識を支える条件にもなる意識です。
 一般的に教員の意識の中心にあるのは、自分一人で受け持つ学級担任、教科担任としての「自分のクラス」、「自分が教えるクラス」です。
 まず、その部分で責任を果たすこと、成果を上げること、少なくても問題を発生させないこと、管理職や他の教員から後ろ指を指されないようにすることがなにより切実な課題となります。
 
 それは、基本的には、「自分のクラス」・「自分の授業」がうまくいっていればよいという意識になり、問題が発生したクラス・授業はその教員のやり方がまずいのだ、力不足なのだと批判的に見る意識を生むことが多いようです。ですから、他クラスの子どものことまで本気になって考えたり、その担任と話し合ったりなどという意識はなかなか持ちにくく、実際、そのような意識の状況では、同僚教員との仲間意識や連帯感を生み出しにくいものになってしまいます。

 しかし、小高の教員集団にあるのは、「この教員チ−ム全員で、小高の子どもたち全員を見ていく」という意識です。もちろん、それぞれ「自分のクラス」への愛着を持ち、個性を生かした運営をしています。それを認め合いながら、その上で、クラスの「壁」は意識しないでどの子どものことも考えて働きかけているのです。

 子どもたちの指導には、細かな配慮が必要なことが多いですが、そのクラスの体制が厳しい場合には、すぐに他クラスからでも応援することができ、そのクラスの担任の一員となれます。状況によっては他クラスの子どもが輪に加わって来たときも、やみくもに追い出したりせず、一緒に楽しんでしまいます。日常においての指導場面でも、担任どうし声をかけあって合同で授業することもあります。

 自分のクラスの子どもは、その担任だけで見ているという感覚ではないので、他クラスに「好きな先生」ができたとしても、教員間でその意味をとらえ喜び合えるという一体感があるのです。


保護者を応援する、保護者との関係を大切にする意識
 教員の仕事は、大きく分けて二つの仕事があると思っています。

 一つは、子どもの成長を支援すること。子どもが学校にいる間、私たちが何をするかということ。 そして、もう一つは、子どもたちの親・保護者を支援すること。保護者と教員が協力して支え合いながら子どもの成長を支援するという関係を作っていくことです。

 養護学校においては、一般の学校と比べると二つめの仕事の意味がとても大きいように思います。
 養護学校に通う障害のある子どもたちのお父さん、お母さん方は、ふだん接する時は、ほとんどの人がにこやかに明るい表情でいます。しかし、深くお話しを聞くと、どの家庭でも子どもの誕生、成長の途上の苦悩があり、思春期やその先の将来を考えた時、それはさらに大きなものになっていくという重い課題を背負っていることがわかります。その課題は、もちろん父母だけでなく兄弟姉妹、家族全員の人生にかかわる「家族の課題」です。

 そして、「苦悩」の中からも、家族の絆が深まり、それを乗り越えていくような「成長」のお話を知ることもよくあり、そのたびに圧倒されるような感銘を覚えます。

 ひとりで悩むことが「苦悩」になり絶望になるのです。一緒に悩める人がいる。悩みを受けとめてくれる人、理解してくれる人がたくさんいる。支え合える人がいる。そういう人と人との出会い、つながりを作り、広げていくことがとても大切だと思います。

 私たちは、教員としてどんなことができるのかを考えます。
 学校で子どもに寄り添う存在として、子どもの「力」と「成長」を細かく見つめて、そのことを保護者に伝えていくこと。そして、可能な限り一緒に喜び、一緒に悩むこと。お父さん、お母さんたちの仲間の輪作りを応援していくこと。とにかく、共に歩むということです。
 
 そうしたことは、何か特別なことをするということでなく、私たちが日常的にできることの中に様々な方法があるのです。日常の小さな保護者と教員との喜び合い、共感の積み重ねが、大きなことを生んでいくのだと思います。(その日常の取り組みについては、資料をご覧ください。)

 見方によっては、「そこまでやるの?」「それは教員の仕事じゃないよ!」と言われるような内容を含んでいるかもしれません。「一般化」できるような「仕事内容」ではないかもしれません。  しかし、少なくても、私たちのグル−プでは、「意義のあること」との共通理解のもとに、どのクラスの教員も自然に取り組んでいることです。

 以上のような取り組みを進める日常の中で寄せられる保護者からの嬉しい反響や次第に感じる関係の深まりが、私たちの「仕事」を支えているのです。
 保護者との共感。これも、同僚との共感と同じく、とても大切なな要素であり、その実感は、私たちの日常の意識と私たちからの保護者への具体的な働きかけからしか生まれないものだと思います。  

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