誇りに思うこと
(2)チ−ムワ−クの成立
 第2としてあげたいのは、(1)で述べた「共感性の豊かさ」の結果として成立する同僚とのチ−ムワ−クです。
 どんな学校でも、学年、教科、分掌、実行委員、係などのさまざまな仕事上の「チ−ム」がありますが、いいチ−ムワ−クで仕事ができたと実感できることは、少ないように思います。

「チ−ムワ−ク」を実感する時
  「チ−ムワ−ク」を実感する時とはどういう時なのかを考えると、次のようなことがあげられると思います。

 ・自分一人ではできないことが、チ−ムによってできたと思える時。
 ・メンバ−のそれぞれの得意なところ、良いところがうまく生かされて、一人一人が
  チ−ムの一員としての存在感を自覚できる時。
 ・自分の弱い部分、にがてな部分もカバ−、フォロ−されありがたいなと感じる時。 
 ・結果として、チ−ムでできたこと、成果を共に喜びあえる時。
  その成果が、期待以上のものであったり、より創造性(オリジナリティ−の高さ)を
  感じるものほどメンバ−の達成感は大きい。  
 ・自分一人でなく、仲間(同僚)とともに一つの仕事に向かっている一体感を感じる時。

 私たちは、さまざまな場面で上記のような「チ−ムワ−クの実感」を味わってきました。この実践集にまとめられた「授業」は、そういうチ−ムワ−ク無しには生まれなかったものばかりです。  仕事の中でチ−ムワ−クが生み出されたともいえますし、逆に、チ−ムワ−ク無しには、私たちの仕事自体が成立しないとも言えます。


 確かに、養護学校には、一般の学校と比べた時、よりチ−ムワ−クが求められ、それが生まれやすい条件はあります。その条件とは、次のようなものです。

 ・クラス担任、授業担当など、どんなことも複数担任、担当制であること。
  まさに、ティ−ムティ−チングが日常です。
 ・子ども全員を、教員全員が知っていて、かかわりを持てること。
 ・子どもたち一人一人にさまざまなニ−ズがあり、それに応じた教育を行なうに
  あたっての日常的な緊張感があること。
  さまざまなトラブルが起きやすい日常の状況があります。生命の危うさをともなう
  事故の危険性はいつでもあり、子どもたちが登校してから下校するまでたえず
  緊張を求められる状況があります。メンバ−(スタッフ)が助け合わなければどうにも
  ならない、意見の違いなど言っていられない切実さがあるかもしれません。 そういう
  ところは、病院と似ているように思います。
 
チ−ムワ−クを成立させること
   「チ−ムワ−クを成立させる」というのは、改めて言うまでもなく、とても難しいことです。仕事の難しさは、「人間関係」にあることは、みんな実感していることです。同僚との間の、対立、分裂は、どんな職場でもたえずつきまとう日常の問題です。
 
 ですから、多くの職場では、できるだけあたりさわりのない関係にとどめること、一人で済ませられることは出来るだけ一人でやってしまうこと、なるべく同僚に文句を言われないように提案をすること、さらに、徹底するときは、人に仕事を任せてしまい黙っていること、などの傾向に傾くのが普通のことになっています。

 複数担当制が基本の養護学校であっても、クラスやグル−プの子どもを「分担」してしまい、仕事も出来るだけ一人一人で「分担」するかたちにしようという「誘惑」が働き、そうしているところが多いのも現実です。 しかし、そういう「分担」は、「分断」ともなってしまうものです。(ただし、そういう分担にでもしないと、ことごとく人任せにして「責任」を逃れようとする人の行動に歯止めがかけられないということも複数担当制独特の現実であり、問題を複雑にしています。)

 いい意味での「分担」にするためには、子どもを同僚と共にみて、考え方が違っても、それを時には率直に出し合い、何ができるかを考えていくことが大切だと思います。
 それが、チ−ムワ−クを作っていくのだと思います。 そして、チ−ムワ−クの中でのよい意味での「分担」にしていきたいものです。


 数多くの教育現場(クラスと授業)を見てきた教育学者の佐藤 学氏は、現在の学校の職場の最大の問題は、
   第1に、職場における「同僚性」の実感のなさ(欠如)、
   第2に、校長のリ−ダ−シップのなさ、
にあると指摘しています。

 キ−は、「同僚性」と「リ−ダ−シップ」。この二つは、どちらも「チ−ムワ−クの成立」を支える大切な条件です。

 私たちの集団は、その「同僚性」の実感の高さと、それぞれがさまざまな仕事でのリ−ダ−やフォロア−になって「リ−ダ−シップ」を成立させるような「チ−ム」になっていると感じます。



 次にあげるのは、学校の二大行事である運動会と文化祭の企画におけるチームワークの事例です。
 ともに「企画」の制作で力を発揮した「チ−ムワ−ク」の例ですが、このように具体物を作るものは、その結果・成果が分かり易いものではあります。
 しかし、大がかりなものほど突然提案してできるようなものではなく、やはり、日常のチ−ムワ−クによる仕事の積み重ねと共感性があってこそ取り組めるものだと思います。

 同僚に「なんでそんな手のかかる(めんどうな)ことに、人を巻き込むんだ!」というような雰囲気が感じられるようなチ−ムであったなら、そもそも、できなかった企画なのではないか、いや、そういう提案の発想すらわいてこないのではなかったかと思います。

 

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