第1部 はじめの一歩 |
(4)クラスの子どもたち |
男の子が6人、女の子が2人のクラスだった。 T君は、すらっとした子で右手の人差し指で、自分の額を軽くリズミカルに叩いていた。トントントンという軽い音も聞こえた。いつも叩いているせいか、額のその部分はうすい茶色になっていた。水も好きで、蛇口からでる水を指先できれいに弾いた。 彼は、騒がしいのが嫌いだった。一人で一日、水と遊んでいられたら、どんなに幸せだろう。けれど、学校は静寂とは無関係の場所だ。教室で、音楽に合わせて踊る友達に「やだ」とも言えず、静かに、相変わらずトントンしながら立っている。「一緒に踊ろうよ!」と先生に言われると、お行儀のいい彼は「マ−」と、声を上げながらも踊りの輪に加わる。人の輪は彼に緊張を強いる。心は安定を求める。指は水を求めて自分の口元から唾をすくう。そして、トントントンとリズムを刻む。ピッピッピッと唾は飛ぶが、それで少しは落ち着きを取り戻す事が出来る。 W君は、小堺一機によく似ていた。前のめりになって走る姿もかわいかった。彼は、くつろいでいるのが好きだ。家では、こたつが大好きな場所だ。家族は、彼を「こたつむり」と呼んでいた。のんびりしていたいのに、登校したら荷物の整理、それから着替えだ。着替え終わったら外遊び、これでは、ゴロンとする暇も無い。鼻の穴に指を入れて、いつもは、ボ−としている彼を怒りが襲う。それからが速い、あっと言う間に靴を脱いでガブッと噛む。上履きだろうが下履きだろうがお構いなしだ。ガブッと噛むと、しかたないやるか、と言う気になるらしく次の行動に移っていた。 ボ−としていたい。ゴロッとしていたい。けれど、「靴を履き替えて外へ行こう。」だって・・「はしれ、はしれ」の音楽が聞こえる。頑張らなければならない事が、いっぱいあるように思える・・・・学校の生活は、彼の気持ちと矛盾していた。それで、彼は、毎日、何度となく靴を噛んだ。 Mちゃん、彼女の祖父はギリシャ人だそうだ。全身がバネのような子で、バケツに水を汲みに行く時でさえ、小鹿が跳ねるように走っていく。運動量も多い。いつも、たいていは飛び跳ねている。体育館に行く時も、階段の上り下りの時も、踵をつけて一歩一歩あるく、なんていう事はしない。つま先で、勢いよくタッタッタッと走っていた。トランポリンで高く跳びながらクックックッと笑っている。床にペタッと座って、長い足をすらっと伸ばし、体を前後に規則正しく動かし続ける。走るのも大好きだ。 苦手は食事。給食を機嫌よく食べた事があっただろうか。いつも顔をしかめ半ベソだ。けれど、料理はとても上手で、家でも野菜の皮をむいたり切ったりして手伝っていた。でも、油断は出来ない。お母さんの料理が気に入らないと鍋ごと捨ててしまうこともある。かわいい顔をして、なかなかの暴君だ。 Tちゃんは、よく休む子らしい。新学期が始まってからも、しばらく学校に来なかった。初めて会った時、大きい子だな、と思った。教室にはヌ−ッという感じで入ってきた。不機嫌そうだった。怒ったような、泣きそうな、そんな表情だった。 手には、ビニ−ルの跳び縄を何本も持っていた。こだわりの持ち物らしい。学校に来るときは、いつもお母さんと二人で歩いてきた。跳び縄も心の支えのように離さず持ってきた。お母さんは、教室に着くと、私たちと少し話してからビニ−ルの跳び縄を持って帰った。Tちゃんは、あまり笑わない子だった。嫌なことは体をくねらせて泣いた。自分勝手にできる家がどんなに居心地がいいか、それは私にだってわかる。彼女は、「家に帰りたい」といつも思っていたのだと思う。女の子は2人しかいなかったけれど、2人とも意志の強さを感じさせる子だった。 S君は、いたずら専門、毎日も楽しかろう。そんな子だ。学校には、にわとりがいて、子どもが外で遊ぶ時も、別に驚くふうもなく悠然と歩いていた。時々、迷惑な子がいて、にわとりの後を追いかけた。にわとりは、トットットッと少し足早になるものの、すぐまた悠然と歩き出す。「こんな事であわてていたら養護学校の庭に住めない。」そう言いたげだった。にわとりも、この風格を壊したくは無かったに違いない。 けれどS君が追いかける時は別だ。必死でバタバタ逃げた。ケッケッケッコ−と声まで上げた。なにしろ棒を振り回し、とことん追い回すのだ。もう、おもしろくてたまらない。ヘッヘッヘッと顔中で笑っている。見ている私たちも、大笑いだ。 K君は、5年生。他の誰より大きかった。のっしのっし歩いて「愛してるかい〜」「愛してるよ〜」「くっせ〜な〜」「きったね〜」と陽気にしゃべりまくった。 彼は新任の若い女の先生に一目ぼれしていた。しかも自分の担任の1人だ。スク−ルバスを下りれば「おはよ〜」と両手を拡げ出迎えてくれる。彼が「愛しているかい〜」といえば「愛しているよ〜」と答えてくれた。なんて幸運なんだろう。彼の心はバラ色ではち切れそうだ。他の担任が中年だろうが、男だろうが女だろうが、彼には関係なかった。 幸せは、巨体の彼のあしどりまで軽やかにしていた。恋を勝ち取ったこまどりのように、優しく歌いながら、「愛しているかい〜」「愛しているよ〜」と3階の教室まで上っていた。途中で、男の先生に「K、愛しているよ〜」と声を掛けられると「愛しているよ〜」とコブシをまわした演歌調で答えた。 幸せ者は、見ている私たちまで幸せにした。新任の彼女とその指導教官の配置で、小高は、いつもより教員数を多く確保出来ていたらしい。いい年をして右も左もわからない私は、この忙しい現場では歓迎される存在でなかったにちがいない。けれどみんなが優しかったのは、きっとK君の幸せに満ちた歌声のおかげ、そんな気がしていた。 |
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