(3)小高の子どもたち |
私は小学部高学年の担任になった。 小学部は1年〜3年の小低グループと4年〜6年小高グループに分かれていた。 小高のクラスは3階に教室があって、毎朝スク−ルバスに迎えに行き「おはよ〜!!元気かい?」「今日は、月曜日だから散歩しようね。」などと話しながら階段を上っていく。子どもたちの中には車椅子の子もいて、その子どもたちのクラスは玄関の近くの教室だった。 子どもたちは学校が好きなのか、だいたいは機嫌よくバスから下りてきてくれた。 バスから下りる。その短い時間に、今日の子どもの状態が判断されていた。「今日は調子いいよ!」と言うときもあれば、「今日は不調だから張り付いているよ。他の子よろしく!」と言う日もある。 不調の原因については、後で連絡帳を読んで分かることもあったが、分からないことも多かった。 不調の状態も様々だ。体が硬くこわばってしまう子は、いつもよりずっと時間をかけて階段を上っていく。自傷が激しくなる子もいる。何が、そんなに辛いのかと思うと、こちらの白髪まで増えていく。 「今日は外へ出ていこう。」と、学校脱出をたくらんで落ち着かない子もいる。友だちを突き飛ばしたり、噛んだりする子が不調のときは、1日が終わる頃には担当者は精も根も尽き果てている。 体調による不調のときは無理はさせられない。特に飲んでいる薬の量や種類が変わりその子どもに合うようになるまでは、今までできていたことが出来なくなったり表情も減ってしまう事があった。こだわりの強い子は、新学期で新しい環境に慣れるまではパニックも多かった。新しい人間関係、新しい教室、新しい日課、・・・パニックになる気持ちはよくわかる。ストレ−トに怒りをぶつけられるのが羨ましくらいだ。 小学校の教員というのは、たとえ教室の窓を大きく開けていたとしても、一国一城の主みたいなところがある。一人で計画を立て、一人で準備し判断し、一人で・・・・そんな仕事も多い。私は、一日中いつも誰かが傍に居るそんな養護学校の新しい環境に神経が疲れてきていた。解決には慣れる事も大事だし、ここでの自分の場所を探し出すことも大事だった。パニックになって、「キ−!」と声を上げる前に「目指すことは何か、何が必要なのか、何が出来るのか。」一つでも自信の持てるものを見つけたかった。 初めの頃、私と彼らにはたくさんの共通項があった。かれらは障害児と呼ばれる子どもたちだったし、私の前にもたくさんの障害があった。だから私は先生と言うより、だいぶ年の離れた同級生のようなものだった。 さて、子どもたちといえば、朝は不調でも帰るときは、たいてい機嫌が良くなっていた。学校でも、たくさん遊んだし勉強だって頑張った。それに大好きなお家にも帰れる。そんな充実感で顔が輝いていた。 |
|