(1)人事異動
 私の子どもが保育園から小学校に上がるころ「学校にも先生がいて、家に帰っても先生がいるのじゃ息子も息がつまるな。」と思った。
  長男の通うようになる小学校の子どもたちは、同じ黄色い帽子をかぶり一列に並んで登校して行く。それから数分たつと、今度は黒い制服の中学生がぞろぞろと歩いて行く。

 私は、卒業してからずっと小学校で働いてきた。学生時代はアルバイトの経験もなかった。これから始まる子どもの長い義務教育の期間、私たちの生活の場が学校と家庭になる。管理されている公教育現場、学校しか知らない母親、あまりいい組み合わせではない。
 まあいい、私は、風通しのいいのんびりした優しい母親でいようと思った。「ああしておいた方がいいよ。こうしておいた方がいいよ。」と先回りするのはやめよう。彼はのんびりした子どもだった。

 ところが、気構えとは別に日常というのは容赦なく忙しい。月曜日の朝は特にだ。
 保育園に着き子どもを部屋まで連れていき、車にもどってお昼寝用の布団を引っ張り出していた私は、無意識のうちに右手でドアを閉めていた。ドアの角が顔にあたり目の下が青くなった。
痛さと恥ずかしさと情けなさと・・・。とにかく少し遅れると学校に連絡して、氷で顔を冷やしてから職場に向かった。

 学校で運動会の練習が始まった時期に1週間ほど入院した。疲れていた。
 何の準備もなく、教室を長く空けてしまった。担任が休めば子どもたちは自習だ。ときおり合同で体育をしたり空き時間の先生が教室に来てくれても、大部分はプリントや問題集と向き合うことになる。空き時間の先生だって目いっぱい授業を持っているので、教室に来てくれても作文の添削をしたりドリルやテストの丸つけをしながら自習の監督をすることになる。
  今になると、生身の人間なんだから病気ぐらいするし学校だって出張や休暇の時に子どもたちが自習をしないですむように、学校に1人ぐらい先生のゆとりがあってもいいのにと思えるのに、その時は教室にも家庭にも寂しい想いをさせてしまったことだけを悔いた。

 人事異動調書というのはちょうど11月頃書く。
 私は、養護学校を希望していた。複数担任なので自習がないだろうと思ったし、子どもが右も左も分からないで小学校に行く、自分も右も左も分からない養護学校に行く。この関係がいいと思った。
  この決断は保育園仲間の一言にも後押しされていた。「小学校の先生って目線だけで子どもの列の乱れを直すのよね。私はそれが嫌で養護学校に移ったの。」目線だけで乱れを直す・・・それができなければクラス作りが難しいようなピリピリした雰囲気が小学校にはあるのかもしれない。

 17年間どっぷりとその雰囲気に漬かっていた私にその言葉は響いた。

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