第4部 子どもたちの学びを求めて
1.自ら学んでいくために
 子どもたちが自ら学んでいくために、学校は、“楽しい”ものであってほしいと願っています。そして、子どもたちが同じことにとどまるのではなく、新しいことへ目を向け好きな人や好きなことをたくさん見つけてほしいと思っています。
そのための視点をいくつかまとめてみました。

“丸ごと”とらえて
子どもの発達はしっかりとした課題をとらえた指導の中で促されます。一人ひとりの行動の中に隠されている発達への要求と親や教師の思いをよりあわせて、その子の“丸ごと”をとらえ、何が次の発達をおしあげていく課題か、子どもの指導に見通しをもって、しっかり話し合う必要があります。

アンジェルマン症候群のともくんは、言葉の出始めにあり、言葉の幅を広げる取り組みが必要でした。しかし、課題に向かう時にすぐに大笑いになってしまいます。このことが、指導の積み重ねを妨げ、必要な学びが育っていきませんでした。そこでまず、ともくんは、やるべき時にはしっかり場面をつくり取り組んでいくということが課題となりました。
姉妹で重度の障害のある家庭に育っているかなちゃんの家は和式のトイレです。多動な障害をもつお姉ちゃんをかかえ、お母さんはかなちゃんの毎日のトイレ介助にも神経をつかっていました。かなちゃんの場合は多くの課題の中で排泄自立が本人の自由を広げ家族の不安を解消することにつながると判断し、足腰の筋力をつけ和式のトイレに座る力をつけることを課題としました。かなちゃんは指導によって一人でトイレに行けるようになり、トイレ介助がいらなくなると共に行動の自由が広がりました。以前よりは余裕が生まれ、次の課題へ向かう力につながったのです。
まさおくんは、自分の思いを激しい多傷行為を伴うパニックで表現していました。実は、これはまわりが働きかけを間違えてしまい誤った学習をさせてしまった結果なのですが、今や、刺激に対しても過剰反応してしまうという状態になっていました。
そこで、私たちは激しいパニックの中にある思いを汲み取り、予想される原因をひとつずつ探り、暑い、おなかがすいた、名前を呼んだ等いくつかの理由をつきとめました。
まさおくんは、それぞれの原因に対してパニックという方法ではなく、適切な方法で解決していくことを学んでいくことが課題となりました。
このように、“丸ごと”をとらえるということは、子どもの全体像をみるということです。そこから課題を設定し取り組んでいき、子どもたちはさまざまな力を獲得していきます。そして、その力をよりあわせて、自己を確立し、自分らしくしっかりと人生を生き『人としての自由』を拡げていきます。
だからこそ、重要なことは、子どもの“丸ごと”とらえ、しっかりとした課題を設定し指導していくことなのです。

自己コントロールの力を育てるために
子どもの学びを阻む問題の多くに、自己コントロールの力の弱さがあげられます。大人の意図を受け止めて行動することに弱さがあると、どうしても欲求に支配された行動に結びついてパニックに陥りやすくなります。
本人が要求しているからと、一日中おんぶしていた。一日中ブランコにのせていた。食べないので給食指導はしなかった。朝起きたら玄関から動かないのでそのままにしておいた。一日中走り回っているままにしておいた。そうした子どもたちは、課題に誘うと一様に激しい抵抗を示し、学びへつなげることが難しかったり、接する周りの人が困る状況になることが多いです。そういった行動は往々にして障害からくるものは少なく、育ちの中で獲得してきてしまった二次的障害というものの方が多いのです。
それは決して親の育て方が悪かったとか、本人がそうしていたから悪かったということではなく、私たちの障害や発達への誤った理解あるいは学習不足によるものです。子どもが選択したように見えていることも、実は私たちが子どもに適切な選択肢を与えることをせずに、好きなことだけをさせるという誤った学習をさせてきてしまった結果であり、私たちがしっかりした手立てをとらなかったと責められるべきものなのです。まだ小さいから、好きなことをさせておけばおとなしいから、あるいは本人の要求だから充分やれば次のことに向かう、自分の人生は自分でつかみとっていくものと、結果的に放っておくと、その子は同じことを繰り返しながらどんどんそのことにのめりこみ不機嫌になっていく、あるいはこのままにしておくとどんどん興味の幅も狭くなり、人との関係が広がっていかないということになっていきます。
そのことがその子の可能性を阻み、本人はもちろんその家族やまわりの人の生きる世界を狭めているのなら、迷わずまわりの大人が軌道修正をしてあげる必要があります。10年先をみつめつつ、早いうちからきっちりとむかいあわなければならないものなのです。
ですから、この軌道を修正するには、やりとりの仕方を知らせ、ちょっとがんばれば達成できる課題(適切な課題)を提示すること、そして、本人の努力や達成を心からほめる働きかけが必要です。それと同時に、さまざまなことに挑戦する気持ち、コツコツと努力を積み重ねようとする気持ち、励まされることやほめられることを喜びと感じられる気持ちなどを育てることが必要なのです。
相手に気持ちを向けたり、相手の意図していることを受け止める力がついていくと子どもたちはより見通しがもてるようになります。ほんの少し援助することで、どんなにその子が生きやすくなっていくことでしょうか。
自己コントロールの力の育ちは、言葉の力が育つ前からはじまっています。今はまだ大丈夫ではなく、今だからこそできることに取り組み、小さい時から自己コントロールにつながっていく力を育てる努力をたゆまず続けていく必要があります。
私たちの働きかけ方しだいで、必ず子どもは変わります。確かに障害からくる困難さはあるでしょうが、子どもの頃から、育ちの力を信じ発達にあわせた地道な努力とその時々を逃さず軌道修正していく努力をしたいものです。
子ども一人ひとりが人としての自由を獲得し、自分らしい生き方をしていってほしいと思っています。

自己を拡げるために
学校の中では、様々なことを子どもたちの課題として設定しています。指導する私たちは、本人をひきつけるだけの魅力のある授業をつくっていくことが何より必要です。その中でやりとりを学び、豊かな人間関係、豊かな人格づくりがされていきます。そのための働きかけの視点として、「子どもが自己を拡げ、自己決定できるようにする」というものを据えておく必要があります。
しかし、「学ぶ」ことは子どもの側からすると、強制されていると感じることがあるかもしれません。こうしたある種の強制については、「せまる」ということばの表現が正しいのではないでしょうか。例えば、着替えを自分でするとか、歯磨きをするとか、そもそも登校すること自体がそれにあたるのかもしれません。他にも授業で設定されるものは教員が考えているものですし、集会などの普段の生活では遭遇しないような大きな集団の経験もそれにあたるかもしれません。
私たちは、そうした場面で、子どもは自然と成長していくものと、見守るだけだったり育ちを待つという接し方よりも、いかに学ばせるかの過程を考えて、時には「せまる」ことが必要ではないかと思っています。
子どもの自主性とか主体性にまかせ「せまる」ことをしないのは、かえって子どもの育ちの芽をつんでしまうことになりかねません。自己を拡げるためにあえてそこに取り組まなければならないこともあるわけです。
「せまる」には、本当にそれをやることが必要なのかを問いかけ、その内容を吟味しなくてはなりません。それには、子どもたちの実態の把握や学習内容に対する子どもたちの様子を観察すること、そして子どもを“丸ごと”とらえた長い見通しを持って子ども個々の課題を導き出すことが必要です。
子どもの課題を見極めて子どもの力を信じて「せまる」、子どもたちができるだけ自分の力で選び取り自由を獲得し自己を拡げるような視点を常にもち続けることが大切です。

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